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ADHDとして死なないための遺書

死んでないだけで生きてもいない。そんなところから立ち直れたら、これは遺書ではなく偉人伝になる。

ADHDと共に生きる

ADHD

27歳独身女子。ひとり暮らし。

今年2015年3月に、1年勤めた会社を適応障害と診断され、6月で退社。

その後、看護師の5つ上の姉に「適応障害って言われて退職した。心療内科通ってる」と伝えると、

「あんたは昔から、ADHDなんじゃないかって思ってた。それを医師に伝えてみて」

と。

その旨を医師に相談したら、

「あなたが来たときのカウンセリングから、その疑いはありました」

とのこと。

8月から9月にかけて、心理士による検査が行われ、

最大IQ119に対して、最小IQ98と診断され、

晴れてADHD持ちとして、向き合う人生がスタート。

 

もともと「忘れ物が多い」「部屋が汚い」「朝起きられない」と言った症状はあって、

でも家族全員そうだったから、「そんなもんでしょ」って気持ちも強かった。

それに、障碍者に対する偏見・先入観、とても良くないイメージしかなくて、

見下してた。自分は優秀だし。って。

 

でも高校生の時にひきこもりがちになって、学校も出席日数ぎりぎりで卒業して、

浪人してもその生活は変わらなくて、

フリーターしながら「優秀だった過去」なんか忘れて、

「どうせ自分は底辺を生きてる(でも障碍者じゃないだけマシ)」

って逃げてた。

 

今思うことは

 

社会に適応すること=圧倒的多数派に合わせること

 

それが、苦痛だったという事実。

 

最近言われた職業支援の先生に言われた言葉。

「優秀なことは、時として障害になる。」

だって多数派じゃないから。

 

みんなより簡単に理解できる。

それはつまり、授業は圧倒的多数派に合わせて進行していて、

その間自分は暇をもてあそぶ。

他の人より同じ時間でよりたくさんインプットしようと、

ノートを字いっぱいに埋めたり、

教科書の先の方まで読んでいたりして。

 

それで、「大事なこと聞いてない、人の話聞いてない」

なんて言われても、「私に合わせてないのはそっちでしょう」と思うのだ。

 

ようやく開き直れた。

優秀だから、この障害を受け入れられた。

優秀だから、この障害に気づいて、苦痛を感じていた。

優秀だから、自分を責めることがバンバン脳内に出てきて、パンクしていた。

 

阿呆に生まれていれば、こうして自分が思い悩むことも、

適応できていない事実にも、

周りと違うという客観的な判断も、

なにも生まれてこなかったんだ。

 

すべて、自分の中の「考える能力」がもたらした。

ADHDという障害も、この

「脳内でバカみたいに常にフル回転しているから、

ささいなことに気付けなくなるんじゃないのか」って結論で受け入れられた。

 

今日このブログをスタートするのは、ただの自己満足であり、

この常にフル回転してパンクを抑えるための、

アウトプット手段のひとつにしかすぎない。

薬で対処療法するのと同じ。療養の一つだと思って、

気軽に書く。

 

ただ、事例として読みたい人もいるかもしれないから、

こんな私の行く末を、遺書だと思って読んでほしい。