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ADHDとして死なないための遺書

死んでないだけで生きてもいない。そんなところから立ち直れたら、これは遺書ではなく偉人伝になる。

狼は群れるが虎は群れない

所属している吹奏楽団で、団内アンサンブル大会が開催された。

夏の終わりに開催が発表され、準備期間は丸3か月。

しかし、申し込みをするには仲間を誘わなければならない。

 

誘われる人、誘われない人

結論から言うと、私は誘われなかった。どこからも。

夏の間から、友達が「私2か所から誘われてるよー」「私もー」などという話を聞くたび、憂鬱な気持ちになった。

誘われないのは私だけではなく、ほかにも何人かいた。

その人らも含めて、誘われない理由を分析すると大きく2つだ。

・人として癖があるから誘われない(気が合わない)

・奏者として癖があるから誘われない(アンサンブルしにくい楽器の所有者、下手)

(本当は、「こいつは自分で誰か誘ってやりそうだからあえて誘わなくてもいいでしょ」が大きい理由だとも思う。でも、自分には上記に感じたのだ。)

 

逆に、誘われる人の特徴を分析すると大きく2つ。

・人柄がいい。仲が良い。(下手でもよい。)

・奏者として使い勝手がいい(すごく上手くもない程度の人物を誘う傾向あり)

 

そして自分は、「みんなが自分のことを下手だと思っているのか、口出したらうるさそうだと思っているのか、単純に使いづらい楽器だったのか」

と、早々に見切りをつけ、「ソロで行こう」と決意する。

 

ソロ

ピアノの伴奏だけは、仲がよく、かつ家が近くて練習しやすく、かつある程度の実力があり、自分のフラストレーションをためずに済む人物に本気で頼んだ。

あっさり引き受けてくれ、めでたくアンサンブル大会出場できた。

選曲も、その場にあった楽曲集から

「この曲は自分に合いそうだし、そこそこ難しいから≪がんばったね感≫がでそうだし、

多少自由にできて、速さの限界に挑めばかっこいいだろ」と、半ば衝動的に選んだ。

 

最初にスタートした時は、♩=132でもぎりぎりだったが、

最終的には♩=208まで上げることができ(多少ごまかしはしたが)

コツコツ積み上げて練習して、それについてきてくれた友人には頭が上がらない。

 

緩急の急の部分が上記で、最初に取り組んだきっかけでもあったので、

特に悩むことはなかった。

ただ、緩の部分は最後の1週間で怒涛のクオリティに引き上げたw

これは元来自分は「楽器でうたう」ことが最も得意であり、しかも

有名な曲なので、Youtubeで検索すればプロの演奏が聴ける時代である。

大会当日の午前に練習した際に、ピアノの子に

「超揺らすから良く聞いてね☆」で合わせてくれるのだから、本当に友人には恵まれている。

 

演奏結果

私は最初から優勝狙いであった。

しかしアンサンブル大会であるので、ソロ大会ではない。

つまり、アンサンブルの規模が大きければ、その分チームワークや迫力という点で必ず負けてしまう。

なので最初から、規模の大きいところが手を抜いてくれることを祈りつつ、

こちらは全力で迫力負けしないように入念に準備をした。

 

結果から言うと、次点か3位だったらしい。優勝しか発表されていないが。

点数のつけ方も、今回団内アンサンブル大会を開催するのは初めてだったこともあり、

あまり得票差がつけずらく、上記のチームワークを評価する形であった。

 

そこを含めても、やはり、「優勝したかった」のだ。

打ち上げでも「自分の演奏はどうだったか」を聞いて回り、

帰りの電車では悔し泣きをして、友人たちに慰められながら帰った。

 

自分の演奏の出来は満足しているし、決して他の団体に比べて劣っていたとは思わない。

ならばなぜ。と。

 

評価

打ち上げや帰りの電車で話してくれた友人が言った言葉。

「がぶりゃーは、合奏のときよりも全然上手で驚いた。普段からそうやって吹けよ(笑)」

「がぶりゃーは8本の迫力に負けないくらいの音量差を一人できちんとつけられていたし、超絶技巧だった。ほんとにすごい良い演奏だった。」

 

こうして評価してくれる人がいる一方で、心にもないことを放った人物もいた。

「普段からピロピロ吹いてるから、それが難しいのかわからない。

いつもこんなもんじゃん?って思った。

結局、自分の担当でない楽器を評価なんてできない」

 

審査用紙は無記名だが、ある程度筆跡や文面を見て、だれが書いたのか特定できる。

それを見ていても思うことは、

・普段から実力のある人は、きちんと「音楽」を評価してくれていた。

・そうでない人は、「その楽曲」を評価していて、的外れ。

・さらに、先入観で「この人は上手いらしい」という噂に流されて聞いている。

現に、私の演奏に高得点をつけた人物は、この楽団のトップ奏者たちばかりだった。

 

なので、評価をきちんと下してくれた人には心から嬉しく思い、

しかしその一方で、

「音楽が通じないとは常日頃から感じていたが、こうも差が開くのか」

と、肩を落とした。

 

自分に

今回は、普段の演奏会以上に緊張して、足が震えた。

しかしそれは、「これだけ練習したのに失敗するわけにはいかない」という類のプレッシャーであり、そういう時はたいてい本番は想像よりも良い演奏になる。

悔いのない演奏ができて、良い評価ももらえて、自己肯定感を得ることができた。

それは認めよう。素直に。がんばった自分。お疲れ自分。

みんなの予想を裏切って良い演奏をしてしまったのだ。

驚かせてしまったのだ。

ソロで出てくるほどの実力なのだと、知らしめてやれたのだ。

ただ、評価できないほどのレベルの差がそこにあった。

音楽の中身を見ることができない、残念な人もいるのだ。

ワタシワルクナイ。評価できない人が悪い。

この結果は嘘ではないし幻でもない。真実だ。

これからは「超上手い人」扱いされるのだろう。

次にアンサンブル大会が開催されるときには、「がぶりゃーを誘おう」となるんだ。

きっと。そうだ。そうだといいな。

 

みんなに

でも、これは言いたい。

 

人の演奏の良いところも悪いところも、きちんと評価できなければ、

自分の演奏を自分で伸ばせないということ。

それは、私が1舞台に上がるたびに3歩進むところを、1歩しか進めないと自覚してほしい。

他のみんながどう練習してきたかは知らないが、

結局「人の言いなりになって楽しいのか?」

そうじゃないだろ。

自分の個性や長所を知らないで、周りに合わせることばっかりに気を取られて、

音を並べるだけじゃ、音楽だなんて言わないんだよ。

自分は自分だって、胸張って演奏しよう。

悔いが残る演奏なら最初からするな。

「人事を尽くして天命を待つ」って言うだろ。

尽くしてないから悔いが残るんだよ。

尽くしたなら誇れよ。自分を。

どこをどう頑張ったか、具体的に並べて、思ったよりたくさんできたなら、

それでいいだろ、十分すぎるほど頑張ってるじゃないか。

言葉にして。もっと。私一人の言葉なんて、限りがあるから。

 

さいごに

今回のアンサンブル大会で泣くほど悔しい思いをしたのは、

結局「私はもうみんなの手の届かないところにいて、ここでもマイノリティだと気付かされたから」

自惚れ上等。

聴くに堪えられない演奏をした奴らと同列に扱われるのは本当に腑に落ちないが、

その程度の連中とつるんでぬるま湯でやっているのだから、しょうがないんだ。

 

それでも

あの美しい響きを聞いたのは久しぶりで

聞いてるこっちも楽しくなるわくわくする演奏があったりしたし

採点用紙から顔を上げて目が離せなくなった演奏もあった。

自分が思ったより上手だった人も

自分が思ったより下手だった人も

私にもあったのだ。だから今回は痛み分け。

 

群れるようで群れない虎である自分と。

群れないようで群れて狩りをする狼たち。

孤独というとさみしいが、孤高というとかっこいい。

狼の皮をかぶって狼に溶け込んでる奴もいるけれど、

私は虎のままでいいや。

こんな人間に懐いてる虎の方が、かわいげあるだろ。